今に生きる菅江真澄こと、秋田のとんじい、よもやま徘徊日記 公園と森の散歩、秋田の祭り、行事、踊り

21年角館の祭り

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角館の祭り

祭り紹介

国重要指定文化財 角館祭りのやま行事

角館の祭りは神を祭るという神道信仰の素朴な形を色濃く残し、また、若者の力を極限まで出し切る壮烈な激突(やまぶつけ)を含む、祭りの原点とも言うべきものであります。

さらにみちのくの小京都と言われる角館の武家屋敷通りを運行し、踊りを奉納する踊り子と、山車の武者人形、そして通りの枝垂れ桜の緑の対照は、たとえようもなく美しく、永い歴史を感じさせます。

山車を引く若者、大置山、人形、飾り山ばやし(おやまばやし)、手踊り、そのどれもが長い伝統と信仰心、そして庶民の心意気に支えられて生きています。

曳山には「飾り山ばやし」の囃し方が乗り、舞台では秋田美人の本場、北仙北地方の踊り子たちが手踊りを踊ります。
飾り山ばやしは大別して、行進曲、奉納の踊り、風流踊りに分けられ、風流踊りには秋田民謡が多く取り入れられています。

曳山の運行

この祭りは角館神社と薬師堂の祭礼として、毎年9月7日8日9日の三日間行われる。
各丁内がそれぞれ曳山(やま)を出し、神明社、薬師堂への参拝、
領主であった佐竹北家への上覧のため丁内を練り歩く。
注;21年は曳山は各丁内より合計18台

佐竹北家の上覧場所は、武家屋敷通りのほぼ中間位置にあり、各丁内の曳山は次々とここに集まり、手踊りを佐竹北家当主に見ていただくのであります。

佐竹北家の御当主は現秋田県知事 佐竹敬久(さたけのりひさ)氏である。
写真は当ホームページ”武家屋敷通り”をご覧ください。
佐竹家についてはこちら

曳山の舞台には踊り子が乗っており、ほとんどが20歳以下の若い娘さんで、多くは中学生ほどの年齢であるが、よく稽古しているようで、とても上手な踊りを見せてくれます。

小学生の手踊りはとても可憐で、地域に根ざした祭りのもと、教育的な効果も大きいのではないかと思います。(管理人感想)

曳山は各神社や、主だった商店、旧家などに手踊りを披露しながら丁内を練り歩くが、このように行われる曳山の運行は、深夜に及び丁内に戻るのが明け方になるのも珍しくないという。

やまぶつけ

この祭りのクライマックスは山ぶつけである。
「やまぶつけ」は二つの神社への参拝が終わった三日目の夜、通路の通行権を交渉し決裂の場合、山車同士を激しく”ぶつけ合う”ものである。

三日目の深夜(およそ10時以降)には街のあちこちで壮絶な「やまぶつけ」がおこなわれる。

「やまぶつけ」は山車と丁内の優劣を争うものではなく、若者のエネルギーを燃焼しつくすまで行われ、その後再度の交渉によって、通行権の争いは終わり、互いに道を譲って、祭りに幕が下りることになる。

祭りが終わり、一年の収穫(稲刈り)が過ぎると、みちのくの角館は深い雪の中で、春の訪れを待つ季節に入る。

祭りの起源

さまざまな説がありますが、管理人が子供の頃、古老から聞いた話では、次のようになっていました。
その昔、角館の商人が、商用で秋田の土崎港へ来たとき、土崎の港曳山祭りを見て、この祭りを角館でも行いたいと思い、持ち帰った。

土崎港曳山祭りを見ていただければよく解りますが、山車の姿、形はそっくりで、運行の様子もほとんど同じです。また戦前は、土崎の曳山祭りでも「大置きやま」をかざったものという。
以上のことから、根拠のない言い伝えとはいえないと思われます。

土崎の曳山祭りの古い形がそのまま保存されているのではないかと想像できます。

動画サイト

写真集

街の風景

武家屋敷通り

踊り

旧家(商家)


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