今に生きる菅江真澄こと、秋田のとんじい、よもやま徘徊日記 公園と森の散歩、秋田の祭り、行事、踊り

菅江真澄とは?

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菅江真澄

物見遊山(ものみゆさん)の大先輩にかの有名な菅江真澄様がおられる。

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菅江真澄

masumi
月の出羽路

masumi

男鹿
男鹿の奇岩

うえのお方は ”とんじい”の愛してやまぬ真澄さまじゃ

真澄様には、及びもつかぬは承知なれどもとんじいもこれから放浪の、いや徘徊の旅に出るのであります。

何はともあれ、真澄様を紹介せねば

菅江真澄・・・旅を愛した人

宝暦4(1754)~文政12(1829)年 76年の生涯でした

三河に生まれた菅江真澄は,本名を白井英二といい,のちに秀雄,真澄,文化7(1810)以降に菅江真澄と名乗る。

和歌・和学,漢学・画技,本草学・医学など,さまざまな知識や技術を身につけた真澄は,天明3(1783)年より旅の人、放浪の人となるのであります。

信濃 越後 出羽 陸奥 蝦夷などを歩きまわり,日記・地誌・随筆などの著作を数多く残した

寛政9(1797)~寛政11年まで,津軽藩校稽古館(けいこかん)の薬物掛りを勤めた後,真澄は享和元(1801)年に秋田を再訪する。


秋田藩主佐竹義和より内意を受けて

藩内の地誌製作に取りかかり,秋田がさすらい人の定住の地となった。
真澄はこの地誌製作の途中,文政12年に病に倒れ,七十六年の生涯を閉じる。

『菅江真澄遊覧記』

・・・温かい目鋭い観察力

真澄は旅をしながら,農民の生活や伝承,習俗などを図入りで書き記し,これらの日記類は,
文政5(1822)年に秋田藩校明徳館に献納された。

また,出羽六郡の地誌は『雪の出羽路』・『月の出羽路』として,図絵集『勝地臨毫』とともに,献納されている。

これらを『菅江真澄遊覧記』と総称している。

真澄の関心は,見聞きしたもの全てに及び,中でも,出羽・陸奥・蝦夷などの辺境の人々に注目し,彼らの生活などを詳しく書き残している。

今に伝わる伝承や芸能の,昔の姿を探ってみるのもおもしろい。

  • 真澄は秋田藩内を広く歩きまわり、その紀行文は秋田魁新聞に”真澄の風景” として掲載されています。

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